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ヤニス・マンダフォニス(ダンサー)

日野晃と最初に出会ったのは、私がフォーサイスカンパニーのメンバーだった頃、2005年のフランクフルトでである。

日野との出会いは強烈で、感動的だった。私の知覚や知識が根本から覆されるようだった。それ以来、日野の哲学と実践は私の日常生活の一部になっている。

 

日野晃は私にとって、ダンスのみならず、意識的に生きる事への最も重要なインスピレーションの一つだ。
当初は、そのような劇的な変化を予測できなかったが、それから間もなく、日野の織りなす世界は、私や私の同僚にとって、とても大切なものになると理解したのである。

おそらくほとんどのヨーロッパ人がそうであるように、私の武道に対する見識は、自己を守るための術を形式的に学ぶものという程度だった。

結局のところ、武道は技術にしか過ぎないのだから、練習さえ積めば、どのような状況にでも対応できるようになるだろう、と思っていたのである。

それだけでなく、日本は私や私の文化とかけ離れているから、おそらく私が武道を理解することはありえないであろう、そんな奇跡は起こるはずがないとも思いこんでいた。



日野晃を知ってからの数年間と、ヨーロッパや日本で彼と一緒に稽古した事は、まさに私の新しい人生である。

日野の武道は、私自身の稽古と私の人生の、最深なるインスピレーションとなった。

それは、人生を懸けた学びの過程である。

それは、何かをする術でなく、存在する術である。

武道は、これに尽きると信じている。

 

言葉で武道の何たるかを語るのは難しい。今でも分からない。

しかし、日野と稽古するのがどういうものか、日野武道を実践するのはどういうものか、は伝える事ができる。

日野との稽古の第二ステージとして、徹底的に武道を学ぶため、私は5年前に来日した。

ちょうど、フォーサイスカンパニーを退団し、仕事や人生においての新しい道しるべを探していた時だった。
この頃から、私の人生のすべてが変わったと言えるだろう。

武道が正しい道であり、私を鼓舞し成長させるものだと感じた。
生まれて初めて、本当に繊細な人間になれた― ただエクササイズをしたり、動くだけで、周りの人たちや思想とのコミュニケーションが可能だと感じられた。

 

ダンサーなのにこんなことをいうのはおかしいが。本来、それがダンスであるはずだから。

自分がどれだけ錯覚していたのかを思い知り、自分のダンスには何の深みもないことに気付いた。

そして、何もかも、一から学び直さなければならなかった。

赤ん坊になるかのごとく、歩き方、見方、感じ方、行動の仕方、反応の仕方、、、すべて最初から学ぶ。

日野の武道は、人生のすべてに対してオープンであるかのようだ。

自分の思い込みの中でなく、今この時を生きさせてくれる。

それは、自分自身の錯覚から目覚めることだ。


今日、私は振付家であったり、自分の作品を演じたり、バレエや即興を教えたりしているが、そのすべてが、日野の武道から直接 影響を受けているといえる。

私の舞台との関係、動き、教える事、創作のアイディア、仕事の仕方は、私なりの日野武道の実践だ。それに全力を傾けているし、それが私を導いてくれる。

奇妙な事に、私は意識的にそうしようとしているのではない。いつも何かを発見するたび、日野武道の哲学やエネルギーをその背後に感じるのである。 

これは、まぎれもない事実だ。

 

稽古・実践はとても大切で、私たちの生活のあらゆるレベルで行わなければならない。

それが、成長の過程に不可欠なのだ。

もし私が稽古をしなかったとしたら、ただ時間の経過を感じるだけで、その時間を過ごす自分の存在や道のりを、自分の在り方のクオリティとして感じはしないだろう。

 

ある時日野がこう言ったことがある。「根本はみんな同じだ」と。

すべての生物とそれ以上の存在が持つのと同じ深いリアリティが、私たちの行うすべての事の中に秘められている。

現在、私は、実際の稽古のため、いつもこの日野の言葉に立ち返っている。

恐怖や不安に襲われた時、この言葉と日野の稽古に対する根気強さが、私を正しい方向に仕向けてくれる。


私の文章はまるで、グルを見つけた信者のように聞こえるのかもしれない。だが実際は、それとはかけ離れたものだ。

 

心を開くことを恐れず、胸の内を語ることは、昨今では稀な事になってしまった。

たぶんそれも、日野と稽古し学んだ事の一つであろう。


日本滞在の後、武道を稽古するため、そのまま日本に住む方法を真剣に考えた。

しかし、日野は私をためらいなくヨーロッパへ送り返した。

武道が私の人生の道になっていたのは確かだが、もしあの時の私のレベルで日本に滞在し続けていたなら、私は、たいした進歩もなく、なまぬるい位置のままでいただろう。

 

充実した日本滞在だったが、そのまま日本に居続けられなかったことで、ますます武道を独学で学びとる必要性を理解することになったのである。私がここでいう独学者とは、深く何かを研究する術を知っている人の事を指している。
日野もその事を早い時期に理解し、彼独自の方法を見つけたのであろう。そしてその彼の方法は、今日たくさんの人々を奮起させているのだ。

 

今日の私の芸術、私の教え、私の人生には、武道が不変の推進力になっている。

 

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